日语综合教程第六册第九课 课文与翻译

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日语综合教程第六册第九课 香住から白兔海岸

(全新日中对照)从香住到白兔海岸

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阿部昭(あべ あきら1935-1989)

海を見て来ると言われて、わざわざ海を見に出かけるなんていうのは初めてだ。

子供の頃からざっと四十年、湘南の海辺で暮らしてきて、ことさらしげしげと海を眺めることはない。私が元来景色というものに鈍感な人間だからかもしれないが、相手が生みのような茫洋たる代物では、こっちがいくら力んでも仕方がない。そっとしておくほかはない。あれはお日様と同じようなもので、まともに鑑賞したりできるものじゃない、そこにちゃんとひかえていてくれれば安心していられるという、そういう性質のものだと思っている。

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说起来看海的理由,专门为看海而出门还是第一次。

从孩子时算起,我在湘南海边大约住了四十年,所以不用特地屡次去看大海。也许我原本就是对风景之类的东西感觉迟钝的人,如果对象是大海这样广阔无边的巨无霸的话,我无论如何逞强也无济于事,还是暂且不惊动它为好。它与太阳同类,本不是可以正面欣赏的东西,如果将它牢牢实实地控制在那里,那才使人放心,我认为它就是如此之类性质的东西。 ?

山の懐で育った人は、山に対して、やはり私と似たような気持ちを抱いているにちがいない。私のほうでは、山の奥深くに入ると、妙に落ち着かなくて、すぐにも逃げ帰りたくなるのであるが。

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在大山的怀抱中长大的人,对大山一定也怀有与我相似的感觉吧。而当我进入到大山的深处时,就会离奇地变得焦躁不安,想马上逃回去。

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そんなわけで、海も山も、景色のほうはもっぱら新婚さんやお年寄りの団体さんにお任せして、当方が面白いのは、

景色よりもやっぱり人間、

どんな名所よりもやっぱり東京、

と、日頃から田舎の人たちの反感を買うようなことを公言すてじゅた。

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正因为这个缘故,大海也好,大山也好,景色优美的地方还是全都让新婚夫妇和老年人去吧,我感兴趣的是公开表白“景色再好也比不过人,名胜再美也比不过东京”这样平时常遭乡下人反感的话。

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しかし、今度ばかりはそうもいっていられないらしい。なにがなんでも三日間は海を見て暮らすこと――それをやらないことには、帰るに帰れないという悲壮な旅のようである。 ?

可是,似乎只有这一次不能这么说。无论如何,这三天得看着大海过日子,如果不这样,即使想要回去也回不去,就这样踏上了悲壮之旅。

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実は私、日本海を見るのはこれが初めてだ。玄界灘をチョイと遊覧船みたいなもので走ったことがあるにはあるが、そんなのは見た部類には入るまい。それに先刻も言った通り、海辺育ちの心安さで、何処の海を見たって、

(あ、やってますなア)

ぐらいにしか思わない。あんなもの、三十秒以上眺めたことはない。

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其实我看到日本海还是第一次,虽然曾在玄界滩乘坐有点像游览船似的船,跑是跑过一次,但这似乎不能归入“看”的范围。正如刚才所说,在海边抚育起来的安心感,甭管见了哪里的大海,也只不过想:“啊,就那么回事吧。”像那样看海,不会超过三十秒。

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日本海だって、おおかたこんなものだろうとタカをくくっている。全然期待がない。見る前から、何も報告することがないんじゃないかと心配している。それで、途中で厭になって逃げて帰ってくるといけないからと、一計を案じて、タフな友人を一人連れて行くことにする。

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日本海大概也就是那么回事吧,根本未将它放在眼里,所以完全不抱期待。在去看之前,就担心可能会没什么可报告的。然而,也不能因为半路感到厌烦逃回来,便心生一计,决定带上个健壮的朋友一起去。

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昔、テレビ局で一緒に仕事をしていた頃からの永年の飲み友達で、気心の知れたM君というのに電話そて、「山陰へ二、三日、カニを食いに行く気はないかね?」と持ちかける。 「君は何もしなくていいのだ。毎晩温泉に入って、酒を飲んでりゃあいいのだ。」

などとうまいことを言って、その実、彼をカメラマン兼レンタカー用のお抱え運転手として活用しようという悪い魂胆である。ワニザメをだます因幡の白兔みたいなものだ。 ?

他是从前在电视台共事过的一位酒肉朋友,趣味相投的M君,我给他打电话提议说:“有没有兴趣到山阴去玩两三天,去吃螃蟹?”还对他说了如此之类的好话:“你什么也甭管,每晚泡温泉、吃螃蟹就行了。”而实际上,我是想将他作为摄影师和租贷的汽车司机来用的,看上去就像欺骗大鲨鱼的因幡小白兔。

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かくして、無粋な男二人連れで出かけた。

策划好了,两个不懂风雅的男人便结伴出门了。

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来て見れば、日本海は、荒海だった――

来了一看,日本海真是狂暴的海。

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これでは俳句としても字あまり、結論としても馬鹿馬鹿しすぎて話にならないが、私として実感だから致し方ない。それも遠目に見ての印象ではない。二時間近く小船の上で揉みに揉まれて、いい加減うんざりしたあげくの正直な感想だ。

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这句话,作为俳句字数过多,作为结论又显过于荒谬,可是作为我来说,确实是出自真实感觉,真是没办法。这不是从远处一望而得来的印象,而是将近两小时在小船上被挤来挤去,相当厌烦之后的老实话。

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前日の午後京都を出て、山陰本線のジーゼルカーと北上、まだうっすらと、あるいは斑に雪を残した 但馬の山あいを縫って行くと、城之崎あたりで日が暮れかかる。それからト

ンネルを抜けて、また暫く行ったところでようやく日本海が姿を見せる。地図でいえば竹野浜のあたり、山陰海岸国立公園のただなかである。

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前一天午后,从京都出发,乘坐山阴本线的柴油机火车哐当哐当地北上,从斑斑点点的残雪隐约可见的但马山谷中穿行而过,到了城崎一带已临近天黑了。然后穿过涵洞,再走一会儿终于见到了日本海的风姿。如从地图上来说,是在竹南滨的附近,山阴海岸公园的正中央。 ?

私としては初対面だが、相手の顔まではよく分からないといったところだ。

初春の夕闇の中に、あるかなきかの幽かなたたずまいを見せて、ひっそりと息づいているかのごとくである。さしあたっては、

(なるほどね)

と言うだけにとどめ、詳しくは明朝ということにして、浜坂で下車、その晩は湯村の温泉にとっぷり浸かって寝てしまう。陸から海を見るばかりが能じゃないから、あいたは浜坂から香住まで遊覧船に乗って、海中公園を探勝してやろうという寸法だ。

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对我来说是初次见面,也就是说连对方的面孔也看不太清楚。

在初春的暮色之中,看到它那若有若无、朦朦胧胧的样子,宛如静静地在叹息。眼下,只能留下一句“果真如此啊”,详细的要到明天早上再说。在滨坂下车,当天晚上在汤村的温泉里好好泡一泡再去睡觉。光从陆上看看海还不算能耐,计划明天乘游览船从滨坂到香住,去海中公园去探寻游览胜地。

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朝起きてみると、空は予想に反して上天気、遊覧船もちょうど本日――三月十五日――から運航を開始する由で、朝風呂でつるつるする顔を撫でながら、タクシーで船着場に馳せつける。

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早上起来一看,天气与预想的相反,是个好天,据说游览船也是从今天,即从3月15日开始通航,我一边摸着早上泡过澡后变得光光如也的脸,一边乘出租车驶向船码头。 ?

浜坂港はどこにでもありそうな山陰の漁港だが、まるで電気屋の店先みたいに沢山電球をぶらさげた漁港がずうらりと並んでいるのは、あれがイか釣り舟か。

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滨坂港似乎是一个似乎到处都看得到的山阴的渔港,一字儿排开的渔船挂满了灯泡,看上去就像是电气商店似的,那是钓墨鱼的船吧?

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足もとにひたひたと寄せる水に、朝の陽がさして、大勢のいい藻が揺れているのが透いて見える。何処の海を見ても、このごろはまず水を透かしてみる。きれいか、濁っているか。昔の人はそんなことは考えもしなかったろうと思う。海の水はどこだろうと澄んでいるのが当り前だったろう。

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在朝阳的照射下,透过哗哗涌向脚边的海水中,可见长势良好的藻类在摇曳。不管在哪里看海,近来首先都要透过海水来看它是干净的还是浑浊的。我想过去的人恐怕不会想到这样的事情吧,那时海水不论在哪里都是纯净的,那是理所当然的。

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それともこれはわれわれが汚らわしい海しか知らなくなって久しいからで、この土地の人

には真っ黒な海を想像しろと言っても、無理な注文かもしれない。とにかく、初めて見る日本海の水のきれいなこと、これはやっぱり印象的である。

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或许很久以来我们对污染的大海一无所知,或许当地人说让你想象一下漆黑的大海是无理要求,不管怎么说,第一次见到日本海纯净的海水,果然留下了深刻印象。

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防波堤ごしに、沖はと見ると、ほとんど波もうねりも見せず、青々と大海原がひろがっている。波荒き灰色の日本海、なんていう概念的な言葉を口にしたら罰が当りこうな、明るい、のどかな眺めだ。

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越过防波堤向大海望去,只见蓝蓝的大海一展无埌,波澜不惊。像“波涛汹涌的灰色日本海”这样的概念的话从口而出的话,是要遭到惩罚的。清澈而宁静的日本海。

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ところが、これがそうじゃなかった!だまされた。いざ船で沖へ出てみて、やっとわかった。

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可是并非如此,我们被骗了。一旦乘船出海一看,便终于明白了。

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素人の甘さというか、遠目に望むと近寄って見るとは大違いというか、急転直下、日本海はやはり荒海、という大発見に達したのであぅた。わからないものだ。

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是我们这些外行的天真,还是极目远望与就近观望之间大相径庭呢?急转直下,日本海果然成了狂暴的海,我们对这个大发现真是百思不得其解。

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我々の乗り込んだこの船、「雄壮を誇る大型観光船」第一にほんかい丸、触れ込みはともかく、普通の漁船をちょっと膨らましたような小型船で、定員五十名とあるが、身軽いなだけにそれだけ揺れもはげしい。揺れるだけでなく、水面をバッタのように跳ねる感じである。

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我们所乘坐的船,是“以雄伟为自豪的大型观光船”,即第一日本海号。姑且不论其事先宣传,它是一条比普通船稍微宽一点的小型船只,定员五十人。正因为船身较轻,所以摇摆也更为激烈。它不仅摇晃,使人感到就像一只蝗虫在水面上跳跃。

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乗り合わせたのわ、老人が目立つ三十名ばかりの団体客だが、こういう場合のつねとして、お年寄りと女性を畳敷きのキャビンに入れて、若い者はデッキに居残るかたちになったからたまらない。

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和我们一起乘坐的,是一个仅有三十名客人的团队,其中有引人注目的老人。在这种场合,作为常理,让老人和妇女进入有榻榻米的船舱,年轻人留在了甲板上,真让人受不了。 ?

揺られる、跳ねる、水をかぶるで、うかうかしていれば、ベンチもろとも海中に放り込まれかねない。右へ左へと転げたひょうしに、鉄柱に頭をぶっつけそうになる。 (大丈夫かね?)

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摇啊摇,跳啊跳,还要被水淋,稍有不小心,还有可能连同椅子一起抛到海里去。左右翻滚的一瞬间,冷不防脑袋险些撞在铁柱上。

“不会出事吧?”

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内心そう思わない者は、よほど命の惜しくない人間であろう。私は泳げないわけではないが、今回は日本海を見るだけのつもりで来ているのだから、水泳は又の機会にしたい。 ?

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内心不这么想的人,想必是相当不怕死的人吧。我并非不会游泳,但这次只是

打算来看日本海,所以想把游泳的机会放在下一次。

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そんなことを考えながら、艫で両足を踏ん張り、片手でしっかりと鉄柱を握り占めて、自分の転落を防いでいる。

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我一边这样想着,一边在船尾叉开两腿站着,一只手紧紧地抓住铁栏杆,以防自己跌落下去。 ?

春先とはいえ、海上の風はまだ身を切るようだ。朝風呂で温もった顔も手足もたちまち冷え切って、感覚がなくなった。それでも私は、横着な代りに慎重だから、レインコートの中にはちゃんと冬のマフラーを着込み、毛の手袋まではめて完全武装である。 ?

虽说是初春,但海上的风似乎还有些刺骨。早上泡澡后温暖的脸和手脚霎那间便被冻僵,失去了知觉。尽管如此我没有偷懒,而是更加慎重,在雨衣中牢牢实实地裹上了冬天戴的围巾,连毛手套都戴上了,可谓是全副武装。

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我々のすぐ後を追って出航したはずの第二はんかい丸には、女子学生とおばしい一団が乗っていたが、いまごろは盛大に悲鳴の嬌声を発しているだろう。あっちに乗っておればよかったと、残念でならぬ。

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紧随着我们后面出航的应该是第二日本海号,乘坐的好像是一群女学生,也许现在正发出惊天动地的娇声尖叫吧。要是我乘那艘船就好了,我感到遗憾不已。

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ガイド嬢がいないとかで、船長兼機関士のおっさんがワンマンでアナウンスを始める。流暢ではないが、これがなかなか味のあるガイドである。もっとも風がひどいので、艫にいる私にはとぎれとぎれにしか聞えないが。

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因为没有导游小姐,船长兼掌舵的大叔一个人开始了广播。虽然不很流畅,但却是很有味道的解说。不过由于风很大,我在船尾断断续续地听不真切。

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何しろ浜坂からまで二時間足らずのあいだは、奇岩怪石の連続で、その一つ一つに名前がついているから、解説するほうも忙しい。ひっきりなしにやっている。

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总之,从滨坂到香住不足两小时的航程中,奇岩怪石接连不断,而且每一处都有名称,因此大叔忙碌地给大家解说,一刻也没有停下来。

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亀に似ているから亀島

穴が二つ空いためがね島

本のぺージのような横皺があるから頁島

頂上に松が生えているから松島

窓岩 蜂の巣岩 鎧袖

と言った具合て、中には両面あって反対側から見るとインデアンの顔にそっくりというのもある。洞門の命名もしかりで、

朝日が射し込むから旭洞門

内部の形状から釣鐘洞門

というようなものだ。

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“因像乌龟故名龟岛

两只空洞叫眼镜岛

因有书页那样的皱褶故名页岛

因顶上长松树故名松岛

窗户岩、蜂窝岩、铁袖岩”

根据他介绍的情况,正当中有两个侧面,从反面来看,是一个与印第安人的脸一模一样的东西,正如洞门的命名那样:

“因朝阳射入故名朝日洞

根据内部形状叫吊钟洞门”

诸如如此之类的景物。

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世の中には大きな岩石や洞穴を目にすると無闇に興奮してしまう人もいるらしいから、そういう人にはさぞかし堪えられない景観だろう。どうも人間、洞窟があると入って寸法を測ったり、岩を見るとなんに似ているか当てっこしたりする習性があるようだ。 ?

世上似乎也有一见到巨大岩石和洞穴就莫名兴奋起来的人,想必这就是让他们按奈不住自己的兴奋的景观吧。任何人都有这样的习惯:见到了洞穴就要进去测量一下大小,见到了岩石就要猜一猜它像什么之类的习惯吧。

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瀬戸内でいえば、鷲羽山といったようなののだろか。そういえば確かあの辺の入江に象岩というのがあった。

親切に説明してくれるのはありがたいのだが、よく聞き取れないのと、最初の水飛沫の一撃で眼鏡が潮でべとべとの曇ってしまったので、どれがどの岩だか、さっぱり見分けがつかない。いきなり目潰しをくらったようなものだ。

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拿濑户内来说吧,也就是鹫羽山那样的地方来说吧,那一带的入港处好像有叫象岩的岩石。 十分感谢他那亲切的解说,但不是听得很清楚。一开始飞溅的水沫使眼镜因海水而变得黏糊糊的,眼前模模糊糊,哪里是那块岩石,根本分不清楚,就像冷不防被沙子迷了眼睛似的。 ?

絶壁沿いに船は一定速度で進むが、洞門には近づかない。アナウンスによれば、 「本日は少々波がございますので」省略して、先へ進むという。

なるほど、日本海は荒海だ、と思ったのはこの瞬間。

(それで「少々」かね?)

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船沿着绝壁以一定的速度前进,但却不能靠近洞门。广播说:

“今天因为稍稍有点浪,”因此省略了参加岩洞,直接向前开。

果然,日本海是狂暴的海,我想到这一点就在这一瞬间。

(这还算“稍稍”有点浪?)

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どうして「相当」なものだ。私は広島や岡山でヨットやボートに乗ったこともあるが、こんな「雄壮」な気分を味わったことはないし、自衛隊に乗って太平洋上に出た時は、実に春風駘蕩。たるものだった。それで私はなんとなくる了解した気持ちになる――どうやら、これぐらい波があっても、この程度小船でどんどん行ってしまう、その辺が日本海の流儀というものらしい。

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那么怎样才算是“相当”大的浪呢?我在广岛、冈山乘过帆船和快艇,却从未体会过如此“雄壮”的气氛。乘坐自卫队的军舰航行在太平洋上时,实在是心旷神怡。因此我无意中觉得自己明白了什么,好像只有这样程度的波浪,乘坐这样大小的小船持续前进,这才是这一带日本海的做派吧。

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そう思って眺めると、やや離れた海上に一つだけぽつんと突き出した岩礁を、海鵜の群れが占拠して、しきりに首を伸ばしてあたりを睥睨している。そんな何でもないような光景も、いやに黒々と不吉にみえる。不気味で、底知れぬ、こわい海という感じだ。これで空が曇っていたら、もっとこわさを増すに違いない。

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这么想着望出去,在稍稍有段距离的地方,一块岩礁孤零零地突出在海面上,一群海鹰盘踞在那里,频频翘首向四周睥睨着。这样的一无所有的情景,却让我看到了过分黑暗的不详之兆,感觉到了令人毛骨悚然的,深不见底的恐怖大海。如果天色阴暗的话,这种恐怖感无疑会增大。

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太平洋川に住んでいると、海の向うはアメリカ、というぐらいに考えて別に怪しみもしないくせに、ここでは水平線の彼方は昔の満州か(日本の侵略によってかつて現在の中国東北部に「満州国」という国家が作られた――編集者注)ソ連領土か、など頭の中で地図を描いているうちに、ばかに果てしないような気がしてくる。

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居住在太平洋的一侧,如果想到大洋彼岸是美国也没有什么奇怪的,可是这里的水平线对面却是过去的满洲(因日本侵略曾在现在的中国东北部制造了所谓“满洲国”——编者注)以及苏联领土等,我在脑海里描绘这幅地图的时候,产生了一种异乎寻常,无边无际的感觉。 ?

灯台のある伊佐さ岬を過ぎれから、背後を振り仰ぐと、崖の上にはりついたように、ひとかたまりの部落がある。ガイドの言葉を借りれば、「平家の落ちぶれました部落でぞざいます」ということで、この落人部落は往時は電気も水道も電話もなく、周囲からまったく弧絶していたそうだ。それが戦時中そこに軍の監視所が出来たので、道路も通り、おかげで便利になったという。私は奇岩怪石の説明よりも、こういう話のほうが興味がある。あってきたわけじゃないが、平家部落には美男美女がわんさといるそうである。 ?

过了设有灯塔的伊世岬向背后望去,似乎紧贴在山崖上有一处村落聚集地。借用导游大叔的

话,即所谓“平家败落后的家族“。该逃亡者村落过去连水电和电话都没有,与周围完全隔绝。但是战时那里建立了军队的监视所,还修通了道路,因而沾光变得便利了。对我来说,比起奇岩怪石的故事,对这样的事情更感兴趣。虽然不能与他们相会,但听说平家村落里美男美女多的是。

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そうこうしているうちに、キャビンの中の女性たち何人かが船酔いで吐いた模様である。やっと香住港について、出てきたのをみると、ハンカチを口に当てた人や、顔面蒼白で船着場の便所に駆け込む人もいる。お婆さんが多かったのは可哀相だったが、船には強いはずの私もいささかグロッキーである。

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这样说着的时候,船舱里有几个女人因为晕船想要吐的样子。终于到了香住港,看看走出船舱的人,有的用手绢捂着嘴,有的面色苍白,直奔码头厕所,其中老妈妈居多,真是一副可怜相。连本不该晕船的我也有点脚下打绊。

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波飛沫を浴びながら盛んにカメラのシャッターを切っていたM君も顔色冴えない。彼は来月取材でタンカーも結構だが、「雄壮を誇る大型観光船」もなかなかのもの、「遊覧」というよりは「荒行」に近く、船に弱い人には奇岩怪石が地獄の光景にも見えようという貴重な二時間であった。

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一边被浪花淋着,一边拼命地按照相机快门的M君的脸色也不好看。据说他下个月因采访要乘油轮去波斯湾,巨型油轮固然不错,但“以雄伟为自豪的大型观光船”也很了不起,与其说是“游览”,不如说是“闯浪”更为妥帖,对于不惯于乘船的人来说,这宝贵的两个小时可以把奇岩怪石看作是地狱景象。

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静かな香住の町を、足もとおぼつかなげにさまよい歩いて、蕎麦店に入り、熱きつねうどんを食べたら、息を吹き返した。

「やっぱり海は遠くから見るに限りますなア。」

「いや、全くですなア。」

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徘徊在香住岛的街头,脚下仍旧磕磕绊绊的,走进荞麦屋,吃下一碗热呼呼的炸豆腐干葱花汤面,这才缓过劲来。

“看海还是最好从远处看!”

“的确,一点不错!”

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ということになり、今後は陸地からのんびり海を眺めることにして、鳥取県に入る。 ?

有了这样的经历,以后从陆地悠闲地望海就不同了,我们进入了鸟取县。

鳥取で駅レンタカーを借り、私よりも車に強いM君の運転で、大砂丘はひとまず横目に素通りして、網代、田後、浦富と、観光道路をたどる。奇岩怪石にうなされたたあとでは、このあたりの海のうららかな表情には、ボットさせるものがある。

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在鸟取车站租了一辆车,由驾驶技术比我强的M君开着,我们在大砂丘暂且侧目过而不入,直接上了網代、田后、浦富的观光公路。经历了奇岩怪石的噩梦之后,这一带大海明朗的表情有着让人松一口气的感觉。

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民宿がずらりと並んでいる。低い軒先に魚網が干され、漁具が掲げられ、洗濯物がひるがえり、狭い路地では子供たちが遊んでいるという、型通りの漁師部落へ、しりしりち車で入って行く。祖の生活のにおいにも、旅行者をホットさせるものがある。

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家庭旅馆一字儿排开,低矮的房檐下晾着鱼网,挂着渔具,洗过的衣服飘扬着,狭窄的小巷里,孩子们在玩耍,我们将车徐徐开进了千篇一律的渔家村落。这样的生活情趣,也有着让旅行者松一口气的感觉。

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どうしてだろう、私が柄にもなく、しんみりしてしまう。本当に旅情を動かされるのは、私の場合、素晴らしい景色を見たからでも名所旧跡を尋ねたからでもないようだ。何ということもない田舎町の、昼下げりの人気のない通りに、埃だらけの赤いポストがぽつんと立っていたりするのを目にしても、名mmだかしんみりしてしまう。

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不知为什么,我的性情大变,变得心平气和。真正让我为旅情所动的,似乎既不是见到了极佳景色,也不是造访了名胜古迹。映入眼帘的是一无所有的乡村小镇,晌午渺无人烟的小路上,一只满是尘土的邮筒孤零零地立着,不知为什么,正是它使我彻底平静了下来。 ?

旅をすると宣言して、生活から逃げてきたっもりが、結果よその土地へ行っても他人の生活に目が行ってしまうのでは、出てきた意味もないようなものだ。私はやはり「景色よりも人間」派、徹頭徹尾野暮な生活派であるらすい。

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宣称要去旅行,其实是打算从生活中逃脱出来,可是结果去了其他的地方,目睹了他人的生活,却似乎并没有超凡脱世的味道。我毕竟还是“人胜于景”派,是彻头彻尾的乡土生活派。 ?

田後港の船着場へ向って、ごたごたした細い坂道を下りて行きながら、私は無論こことは地形も風光も違うが、伊豆の仲木を思い出した。昨年の下田沖の地震で全滅に近い被害を蒙った例の部落である。テレビの番組を作っていた頃、私はロケであそこの民宿に1週間ほど泊ったことがある。十年も前だが、ちょうど民宿がブームになりかけていた。魚も美味かったし、家族ぐるみのせービスも旅館の比じゃなかった。居心地満点で、言うところはなかった。だのに、どうもうしろめたく、心が安らかでない。今ならわかるようなきがするが、私はどこへ行っても、そうなふうに他人の生活に心を奪われてしまうのだ。すいると、もう旅どころではなくなる。

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向着田后港的船坞开去,从乱糟糟的狭窄的下坡路下来,我回想起伊豆的仲木来,不用说它们无论在地形上也好风光上也好都迥然相异。还有那个去年因为下田沖地震而几乎遭到灭顶之灾的村落。电视台制作节目期间,我曾因外景拍摄,在那里的家庭旅馆住过将近一个星期。那虽然是十年前的事情,但当时正是家庭旅馆走红的时候,鱼儿好吃,家族式的服务也不是普通旅馆能比的。感觉完美,确实是没话说的。可是不知怎么我总觉得内疚,心情不能平静。现在才有点明白过来。我不管到哪里去,都会那样让别人的生活占去了自己的心,于是乎,哪里会顾得上旅游啊。

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波止場の突端に車を止めて、降りる。

どうやら漁船は出払って、長い防波堤に囲まれたプールのような水面に釣り糸垂れている人がいるぐらい。森閑としている。

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在码头的突出一端将车停下,下了车。

大概渔船都出海了,长长的防波堤围拢起来的池塘般的水面上,有人在抛钩垂钓。万籁俱寂。 ?

それにしても、いい天気だ。山陰では(弁当忘れても傘忘れるな)と言うらしいが、私は傘はかばんの底にしまったまま、弁当のことばかり考えている。さっきもここへ来るのに、駅弁のカニ寿司を買い込んできたばかりで、目の前の海を見ながら、二人して車の中でそれを食べる。

尽管如此,还是个好天。山阴有句俗语说“忘了带饭也甭忘带伞”,我将伞放在提包底下,只是想着带饭的事。方才来这里的路上,刚买来了车站的虾肉寿司,我们一边看海,一边在车内吃了起来。

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ここから浦富を回って鳥取砂丘へ引き返すわけだが、私はしかるべく時間を調整して、砂丘の落日なるものを見てやろうと思っている。しかし、それにはちょっと早すぎるようだ。 理应从这里绕过浦富返回鸟取沙丘的,可是我适当地调整了时间,想要看看沙丘的落日情景。但是,似乎稍稍早了一点。

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「なるべくゆっくり行って貰いたい。ちょうど砂丘の彼方に日が沈むところへいき合わせたいんだから。」

などと、初めて見る場所なのに勝手知ったようなことを言って、M君の運転に注文をつける。

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“尽可能慢些走,因为想正好在落日在沙丘那边落下的时候赶到。”

说了如此之类的话,虽然是第一次见到的地方,却像和了解情况似的发指示,对M君的开车提出要求。

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私は、しかし、砂丘の入り口にはあんまりいい感じは受けなかった。店の看板が立ち並び、ローブウエイが走っているのを見ただけで、また記念撮影用のラクダがいると聞いただけで、御免こうむりたい気がしている。

但是,我在沙丘的入口处没有得到什么好印象。只见商店招牌林立,空中缆车穿行,还听说有供拍照用的骆驼,觉得被忽悠了。

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そこで、砂丘に入る前に、その少し手前で、つまり砂丘の北端につづく海岸部ぶちで、車を止めてもらった。

于是,在进入沙丘之前,在稍稍远一点的地方,也就是在连接沙丘北端的海岸边,我让车停了下来。

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ここらは、背後に防砂林の迫った。ごくありふれた、狭い砂浜で、ちょっと見には湘南あたりの海岸とかわらない。だが海の青さにまして、何と砂のきれいなことだ。

这里是背后逼近防沙林,极其常见的狭窄海滨沙滩。咋一看与湘南一带的海岸毫无区别。海水蔚蓝,可是沙滩更为美丽。

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私は海を眺めるのも忘れて、しゃがみこみ、砂を手にすくってみる。白いというのでもない、黒いというのでもない、よく見れば茶色の粒や不透明なガラスの粉のようなのも混じっている。それが明るい大きな空の下で、遠目に白々と映えるのであるらしい。

我甚至忘了看海,蹲了下来,将沙子捧在手里看。说不上是白,也说不上是黑,仔细看的话,是茶色的沙粒与不透明的像玻璃粉似的东西混合在一起,远远望去,在明亮的苍穹下,白茫茫地映照着。

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私は手に取って見るだけでは足りなくて、空き瓶を拾って、地質学者みたいにこれに詰めた。それは今私の机の上に砂時計のように立っている。小さな黒い海鳥の羽毛も一本、そこにささっている。

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我不满足于仅仅捧在手里看看,捡了一个空瓶,像地质学家似的将沙子装了进去。它现在在我的书桌上像砂漏似的立着,一小根海鸟的黑色羽毛插在那里。

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なんとも子供じみた振る舞いと思われるかもしれないが、海辺育ちの私は、そんな砂を前にしては平静でいられない。昔のことがいちどきに戻ってくるようだ。まわりにまるで誰も人がいないのも、遠い昔に返ったみたいだ。

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也许你会认为我太孩子气了,可是在海边长大的我,在这样的沙滩前怎么也不能平静下来。往事一时间似乎又在眼前,周围就像一个人也没有,又都回到了遥远的从前。

ひょっとすると、今度の旅行の最大の印象は、日本海の「雄壮を誇る大観光船」についではこの砂粒かもしれない。無論このあとで歩いた大砂丘でも、次の日に見に行った白兔海岸でも、私は研究を怠らなかったが、最初の感激でもう十分のようであった。

也许这次旅行最深刻的印象,就是乘“以雄壮为自豪的大型观光船”游览日本海,就是这瓶沙子了。不用说之后走过的大沙丘也好、第二天去看的白兔海岸也好,我对沙子的研究一刻也没有怠慢,但这最初强烈的心动似乎已经足够了。

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国鉄の急行の呼称にも、観光バスの愛称にも、はては、饅頭の名前にもなっている「白兔」――その名を冠した海岸には私は幼児園以来興味を抱いている。まさかウニザメはいないだろうが、蒲の穂ぐらいははえているだろうと思っている。

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国铁快车的称呼也好,观光巴士的爱称也好,甚至连包子的名字也变成了白兔。对于这个以“白兔”冠名的海岸,我自从上幼儿园起就抱有兴趣。我想虽然绝不会有凶恶的鲨鱼,可是香蒲的穗大概还长着吧?

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来て見ると、何のいわくもなさそうな、のどかな浜辺で、こまかく打ち寄せる白波が目にしみる。子供の頃、近所に稲葉君という子がいたので、私は「稲葉の白兔」という綽名をつけてやったことがある。そんなつまらぬことが思い出される。

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来了一看,似乎毫无缘由的宁静的海滩上,满眼都是细碎的涌上岸来的白浪。小时候,附近有个名叫稻叶君的孩子,我曾经给他起过一个绰号,将“稻叶的白兔”。让我想起了这样不足道的小事。

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沖のほうに、薄墨色の雲が張り出して、その末端がおかしな具合に垂れ下がっている。あ

そこまで雨が来ているのか。

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海面方向,灰色的云正在扩张,它的末端怪怪的垂了下来,雨已经到了那里吧? ?

「おいおい、あれは竜巻じゃないか?」

私はM君に呼びかけたが、竜巻というものを目撃したことがあるわけじゃない。しかし、いかにも暗雲といった、陰悪な雲だ。

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“喂喂,那不是龙卷风吗?”

我向M君呼喊道。虽然我没有亲眼目击过龙卷风,但是的的确确是可称为黑云的凶险的云。 ?

さて、このあとも、又あくる日も、海沿いのドライブを楽しんだが、これ以上海の描写は勘弁していただく。私はどうも文章で海を写すのは苦手である。皆さんそれぞれお自分の目で見られるのがよかろうと思う。

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且说在那之后以及第二天,我们的沿海开车旅行很快活,但请原谅对大海的描写到此为止。我在文章中对大海的描写实在很不擅长,诸位还是用自己的眼睛去看吧。

また、どの場所のどんな位置から眺望した日本海がよかったか、私にも若干意見はあるが、これも差し控える。論争しても始まらない。

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还有,在那个地方,那个位置去眺望日本海为好呢?我虽然也有一些看法,但也在此按下不表,再怎么争论也无济于事。

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とにかく、海を見て来て、私はやや希望を取り戻したようである。

以下は余談――

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总之,为看海而来,我似乎多少也挽回了一点希望。

以下纯属多余的话。

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雪がちらつく頃が旬だという山陰の名物松葉カニ、やや時季外れだったが、東京から行ったわれわれにはやはり珍しい。せっかくだからといういので、帰途鳥取駅で一匹ずつ一番大きな奴を買い込む。籠にドライアイスを入れてくれたが、みそは保証しかねるという。 ?

在大雪纷飞的时候,山阴有一种特产名为“旬”的松叶蟹,虽然已经不应时节,对于从东京来的我们还是很珍贵的。正因为远道特意而来,归途中我们在鸟取车站各自买了一只。虽然在竹笼里放了干冰,也难以保证蟹黄不受损。

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こういう時、旅慣れた男というのは頭が動く物で、暖房の効いた客席に持ち込むと傷みも早いから、グリーン車の車掌専務室の横にある戸棚にカニを預かってもらおう、とM君が言い出した。

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在这种时候,长出远门的男人脑子灵活,因为带到暖气很足的乘客席位的话,损坏更快,所以请求将蟹寄存到头等车厢的乘务员室旁边的柜子里吧,M君这么提议。

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車掌さんをつかまえて交渉する。相手は微笑しながら聞いていたが、

「実はカニはお預かりしないことになっているんです。」

と、やんわり断られてしまった。

拦住了乘务员,同他交涉,对方微笑着听我们说完,却委婉地拒绝了。

“实际上我们有规定,不能代为寄存蟹。”

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理由を聞けば最もな話で、我々も引き下がらざるを得なかった。

――以前やはり乗客のカニを何人分か、親切心から預かったことがあったが、先に降りた客が他の客の大きなカニを持って行ってしまっあので、車掌はその差額を弁償させられた。それ以来、カニがけは預からない方針であるという。

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听了他讲的理由,我们只得让步,一无所获。

以前也曾热心替几个乘客寄存过蟹,但先下车的乘客将其他乘客大个的蟹拿走了,乘务员被要求赔了差额,从那以后,就制定了不给寄存蟹的制度。

「最近はカニも高価ですからね」

と車掌さんは慨嘆して、

「それに、あのロッカーカニを入れるところではないんで」

そう言って一礼して行ってしまった。

幸い、山陰本線も新幹線もさして暖房が利いていなかったから、われわれは少々寒かったが、カニにはよかった。カニ一匹無事に東京へ運苦労からいっても、日本海はやはり遠い海ようである。

“最近蟹的价钱也是很贵的呀。”

乘务员感慨地说。

“而且,那柜子也不是放蟹的地方。”

这么说道,行礼后走了。

幸好山阴本线和新干线的暖气不是很足,我们虽然稍稍感到有点冷,对蟹却很合适。将一只蟹平安无事运到东京,从这个辛苦上来说,日本海真是遥远的海。

本文来源:https://www.bwwdw.com/article/1tfm.html

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